社会

お金の正体とは?物々交換が始まりはウソだった!?

お金の正体って何だろう?

昨日、お金に関するセミナーを受けました。

そして、「お金というものは存在しないんだ」ということを学びました。

  • 「は? どういうこと?」
  • 「お金は今の社会に欠かせないものでしょ?」
  • 「どんな人も持ってるじゃん!!」

と思われるかもしれません。

はい、その通りです。僕も普段、お札や硬貨を使ってモノを買ったり売ったりしています。

ですが実は、お札や硬貨はお金ではないんです。もっと正確に言うと、「お金の正体」ではないのです。

  • 「はぁ? ますますワケわからん!」

となられるかもしれませんが、もう少しわかりやすく言えば、お金とは本来実体のないものであるということです。お札や硬貨は、ある意味「まやかし」みたいなものです。

そんな超面白〜〜いセミナーを受けたのですが、セミナーの内容をそのままコピーするわけにはいかないので、僕の視点を交えながら

  • お金とは実は目に見えないものである
  • 今のお金ってどうなっているの?
  • じゃあ、「お金の正体」って何なの?

ということについて、お話ししていきたいと思います!

500円玉より1万円札の方が価値が高いのはナゼ?

まず、身近なところからお話を進めていきましょう!

あなたはこんな疑問を抱いたことはありませんか?

「1万円札は紙でできているのに、金属でできている500円玉より、どうして価値が高いんだろう?」

……と。

僕は幼い頃から不思議に思っていました。だって、おかしくないですか? 1万円札は単なる紙に文字や絵柄が印刷してあるだけなのに、それより明らかに重たくって、加工の難しい500円玉の方が圧倒的に価値が低いだなんて……。

正確な製造コストはわかりませんが、紙よりも金属の方が材料費が高いはずだし、その金属に「500円」と彫刻するのって、単なる紙に「1万円」と印刷するよりきっと大変です。

それに、500円玉は硬くて壊れにくいですが、1万円札は簡単に破れたり燃えたりします。どう考えても、500円玉の方が機能性があるし、物質としての価値が高いはずです。

なのに、多くの人が500円玉より1万円札の方が「価値が高い」と思っています。

もし渋谷のスクランブル交差点に、同じ数の500円玉と1万円札を空からバラ撒いたら、1万円札の方に群がる人の方が多いはずです。(でも、500円玉が空から落ちてきたら痛いか……( ̄▽ ̄;;)

そんな風に、製造コストが高い500円玉(金属)よりも、もっとコストが安い1万円札(単なる紙)に多くの人が価値を見出すのです。

これは、なぜなのか?

当初この章の「500円玉」は「10円玉」と書いていました。ですが、こちらの記事を参考にさせていただいたところ、10円玉の方が1万円札の製造原価より安いことがわかりましたので、「500円玉」に修正させていただきました!

そう「信じている」から

一つの答えを言ってしまうと、これは「多くの人がそう信じているから」です。日本にいるほぼ全ての人が「500円玉よりも1万円札の方が価値が高い!!」と思い込んでいるから、1万円札の方が価値が高くなるのです。

身もフタもない答えになってしまいますが、でも、そうですよね?

客観的なモノの価値としては、先ほど出たように、金属である500円玉の方が価値が高いはずです。ですが、その客観的な価値が、見事に無視されています。ほとんどの人が、「金属か紙か?」なんていうところは見ずに、

  • これは500円玉だから500円分の価値しかない
  • これは1万円札だから1万円分もの価値がある!

という風に判断しているのです。

つまり、客観的で物理的な価値ではなく、あくまでも人の頭や心の中にある主観的な価値で硬貨やお札を判断しているのです。

もっと言うと、「価値がある」のは500円玉や1万円札そのものではなく、500円玉や1万円札を手に取った、その人の頭や心の中にあるということです。そして、その主観的な価値を多くの人が同じように共有しているから、モノやサービスの取引が成立します。
(複数の人が共有しているということは、純粋な「主観」ではないですが、「物理的」ではなく「心理的なもの」という意味で、こんな風に使わせていただきました)

そう。お金の正体とは、硬貨やお札ではなく、「人の心の中にあるものだ」ということなのです。

紙幣が普及した歴史

では、なぜこんなことが起こっているのか? 少し歴史を紐解いてみましょう。

「お札(紙幣)」が普及したきっかけは、昔、ヨーロッパで貴金属を預かる代わりに発行された引換証書だったと言われます。
(紙幣の成り立ちについては諸説ありますし、ここではざっくりとした流れだけをお伝えするので、正確さは求めないでくださいね!)

当時は、金(きん)が重要な財産とされていましたが、お金持ちたちが専門の金細工師に預けるようになりました。金細工師は強固な倉庫を保有していたため、金を自宅に置いておくより金細工師に預けた方が安心だったのです。

そして、金細工師は金を預かる代わりに

  • これだけの金を預かりましたよー
  • この紙を持って来てくれたら、同じ量の金と交換しますよー
  • しかも、他の土地の金細工師のところへ持っていっても、同じ量の金と交換できますよー

ということを記載した引換証(証明書?)を発行したのです。

これはとても便利なものでした。自宅で大量の金を保管する場所と手間が省けますし、泥棒に入られるリスクも減ります。

また、金細工師たちは各地の同業者とネットワークを組んでいたので、その引換証は他の土地でも有効でした。つまり、遠くへ移動するとき、重たい金を持ち運ばなくても、引換証を持っていくだけで、財産の代わりにすることができたのです。

これが紙幣が普及したきっかけだと言われています。

さて。ここでいかがでしょう?

この「引換証」そのものに価値はあるでしょうか?

物理的な意味で言えば、この引換証は単なる紙です。ですが、そこに「金(きん)と交換してもらえる」という約束があることで、引換証にも価値が付与されました。

つまり、物理的な引換証そのものに価値があるのではなく、「これがあれば、貴重な金と交換してもらえる!」という心の中の現象に本来の価値があるのです。

これが現代の紙幣にも引き継がれています。

「貴重なものと交換できる」という心の中の価値が、1万円札などの紙幣を介することで想起されます。そして、他の人も同様に、心の中にその価値を感じるので、1万円札を使うことで商品やサービスを手に入れることができ、現実に変化が起こ流のです。

ですが、元々の正体はあくまで「心の中の出来事」です。1万円札そのものに生じていることではありません。人が引換証や1万円札を見て、「価値がある!」と信じる(思い込む)から、現実にも変化が起こるという結果が起こっています。

しかも、ここでポイントなのは、他人と価値を共有することができるということです。

先ほどの金細工師の引換証で言えば、仮に他の地域の金細工師とネットワークが形成されていなければ、引換証を遠方へ持っていけばその価値を失います。金と交換できないのでれば、何の意味もありませんから。ですが、金細工師たちは各地でネットワークを構成していたので、ある引換証を他の地域へ持って行っても「同じ量の金と交換できる」という合意を形成していました。

つまり、引換証の価値はあくまで主観的なものであっても、その主観は多くの人たちと共有されていて他の人への影響力を持つ、ということです。

これは現代でも同じで、コンビニで「100円のジュースが欲しい」と言って100円玉を差し出せば、店員さんは100円の価値を持ったジュースを渡してくれます。100円玉が他人を動かす力を持っているというわけです。

ですので、ここまでの要点をまとめると

  • お金の正体とは、人が「心の中」で感じる価値
  • そして、その心の中の価値は、多くの人と共有されている

ということになります。

そもそも「金」って価値があるの?

でも、ここでこんな疑問が湧いて来られるかもしれません。

  • 「さっきから“心の中”って言ってるけど、金(きん)って価値があるものだよね?」
  • 「それと交換ができるんだったら、物理的な価値もあるんじゃないの?」

……と。

ですが、ここで逆に質問になってしまうのですが、「金(きん)」というものは本当に価値があるものなのでしょうか?

たしかに、金は現代でも取引がなされていて、現金とは違った財産の一つとされます。それに、見た目もピカピカして綺麗で、重量も重く、いかにも「貴重!」な存在に見えます。

ですが、「貴重!」と感じるのは、金そのものに対してでしょうか?

よくよく冷静に見てみると、金ってそれだけでは何の役にも立ちません。いくらキラキラしていても夜道を照らすことはないし、いくら「大切だ!」と思っても食べることはできません。人が生活する上で役に立つところが全く無いのです。物理的に見れば、単に重たいだけのカタマリです。

そう。「金(きん)には価値がある」というのも人の思い込み。あくまで主観的なものなのです。

つまり、紙幣を生み出す源であった金(きん)についても……

  • 金そのものには価値は無い
  • 「金は貴重だ」という人間の思い込みが、価値を生んでいる
  • 金の価値も、結局は人の心の中にある

ということなのです。

「お金」を介した物々交換はなかった

ここまでお伝えしてきて、今までお金の歴史について学ばれたことがある方なら、こんな風に考えられるかもしれません。

  • 「そうそう! 金(きん)や貨幣そのものには価値は無いんだよ」
  • 「それより以前は、単なる貝殻がお金になっていたんだ」
  • 「そうやって他の手軽なものを媒介されることで、物々交換を円滑にしていたんだ」

という風に。

そうです。僕もそんな風に学んでいましたし、お金そのものには価値がないと考えていました。歴史を遡れば、物々交換を行う道具であったと理解していました。

ですが、今回のセミナーを受けて衝撃の事実がわかったんです。

実は、人類の歴史において、貝殻などの原始的なお金が、物々交換を媒介する道具として使われた形跡はないということだったんです。

ここで「物々交換を媒介する道具」とはどういうものなのか、念のために説明させていただくと……

例えば、あなたが山へ狩りに行って沢山のイノシシを捕まえてきたとします(原始時代なので、ちょっと極端なイメージで♪)。そして、僕がそのイノシシの肉をとっても欲しいと思ったとします。

ちょうど僕は魚をたくさん釣って来たところだったので、「この魚とあなたのイノシシを交換してください」と言います。ですが、あなたは魚が嫌いです。「いや。魚は嫌いだから、他のものにしてよ!」とあなたは言います。

このままだと、両者の希望が合致せず交換が成立しません。

そこで、「じゃあ、魚の代わりに貝殻を渡すよ。貝殻は腐らないし壊れにくいから、これを持っておいて、またいつかその貝殻と僕の何かを交換しよう!」と言って貝殻を渡します。そして、あなたもそれに同意してイノシシの肉を僕に渡してくれました。

こうやって貝殻を間に挟むことによって、好みでないものであっても無事に交換が成立しました! そして、あなたは将来その貝殻を使うことで、他のモノと交換ができます。

という風に、モノとモノとを交換するときの代替品であったり証明であったりしたのが、原初のお金だとされていたのです。そして、この「原初のお金」は、腐りにくい貝殻であったり、塩、お米などなど、地域によって形態が違ったとされていました。

で・す・が!

この貝殻や塩、お米などの「原初のお金」は、物々交換を媒介するものとしては使われていなかったとわかったそうです。元々の通説は「物々交換に使われていた」とされていたのですが、21世紀の研究によって、その通説は覆されてしまったのです。

どういうことなのか?

たしかに、人が生きるためには他の人の協力が必要であり、他の人とモノを交換しながら生きていました。ですが、その物々交換の際に、貝殻や塩やお米などの「道具」が入ることはなかったのだそうです。

なので、先ほどのイノシシの例で言うと、こんな感じになります。

僕「イノシシの肉が食べたい! 少し分けてくれませんか?」

あなた「沢山あるからいいよー。これだけあげる!」

僕「ありがとうございます! じゃあ、代わりに僕が取って来た魚をあげます!」

あなた「えっとー……魚は嫌いだから要らないかな(^^; また別の機会に、他のもので返してくれればいいよ♪」

僕「え! マジっすか!! ありがたいですーーー(*T^T*) じゃあ、いつか他のものを持って来ますね♪」

あなた「うん。君のことは信用してるから、またいつでもいいよー。これからもよろしくね(^^)」

僕「はい! これからもよろしくお願いします!!」

という風に、「モノをもらった代わりに、その場で何かを差し出す」ということはなかったのです。そうではなく、単に「モノの受け渡しをした記録」を残すだけだったと言います。もしかしたら、口約束だけで“記憶”のレベルだったかもしれません。

そんな風に、貝殻や塩やお米を介してやり取りするのではなく、

  • 物理的な道具や証明は介さずに取引を行なっていた
  • 何かを受け取っても、その場で代わりのものは渡さなくてよく、いつか同じ価値のものを返せばいい
  • 提供する側も、相手がきっといつか返してくれるという信用の元に提供していた

という形式だったのです。

貝殻やお米や塩が使われるときというのは、同等のものを返せないとき……先ほどの例で言えば、

僕「すみません! 以前にいただいたイノシシの御礼をしようと思ってたんですが、良いものが見つからなかったので、代わりにお米を贈らせてください!!」

というように、過去の取引の不足分を清算するために使われていたのだそうです。

つまり、まとめると、原始的なモノの取引というのは、

  • 「これだけの価値を提供したよね?」という合意
  • 「同じ価値のものを将来お返しするよね?」という信用

だけで成立していたのです。

そこに「貨幣」という道具は、基本的に使われませんでした。まさに、価値の移動は、人の「心の中だけ」で行われていたということなのです。

ミクロネシアの原始的コイン

「そんなん、ウソだーーーーーー!」

と思われるかもしれません。当然です。僕もそう思いました( ̄▽ ̄;;

ですが、このことを証明する事例がすでにあるのです。

それは、ミクロネシアのある島で見られた社会慣習です。

「ヤップ島」という、長い歴史の中で近代文明の手が入らず、原始的な生活が続けられていた小さな島なのですが、ここには次の画像のような貨幣が残っています。

ミクロネシアの巨大な石貨(コイン)
作者 Eric Guinther (English Wikipedia) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) または CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)], ウィキメディア・コモンズ経由で

でかっ!!!!

という感じなのですが、この石でできた巨大なコインが、この島のお金なのだそうです。

ですが、何かの取引をするとき、この石コイン(石貨)は使われません。ただ置いてあるだけです。中には、海に沈んでしまって、でも「あの家は、あのコインを持ってたからねー。信用できるねー」という理由で取引ができてしまうこともあったそうです。

というか、そもそもこんな巨大なコイン、物々交換の道具にしたらめっちゃ面倒です。重すぎて使い物になりません!

つまり、この石のコイン(石貨)はあくまでも飾りであり、実際の取引は、記録であったり相手との信頼関係だけで成り立っているということなのです。

※詳しいことは、コチラの本に書かれてあるそうです。僕も読んでみようと思っています!

お金とは「共有できる信用」である

さてさて。ここまで長々と書いてきてしまいましたが、要点はたった一つです。

それは、「お金の正体とは、人の心の中に存在するもの」ということ。

先ほどのミクロネシアの石貨も、それ自体には意味はなく、取引する人同士の信頼関係にありました。

原始的な社会においても、貝殻やお米、塩などの貨幣は補助的なものであり、取引する人同士が「これあげるよー」「いつか返すよー」という合意をすることが基本でした。

時を経て金細工師の引換証になっても、それが「金(きん)と交換できる」という思い込みを多くの人が抱くことから、引換証に価値が生まれました。

そもそも、金(きん)の価値というものも、人の心が作り出したものです。

そして現代においては、金属である500円玉の方が製造コストが高いにも関わらず、「1万円の価値がある!」と多くの人が信じるから、単なる紙切れの1万円札が貴重なものになっています。

これらは全て、人の心の中で起こっている現象です。つまり、お金の正体というのは、物理的な硬貨や紙幣にあるのではなく、人の心の中にあるのです。

そして、さらに重要なことは、その「心の中にあるもの」が多くの人に共有されているということ。

1万円札を見て、自分だけが「価値がある!」と思い込んでいても、他の人が同じように感じていなければ、何も買うことはできません。金(きん)だって、「これは貴重なものだ!」と世界中の人が思うから価値を持ち、他のものと交換できます。そして、原始社会においても、「誰かから何かをもらったら、お返しするのが当然だよね」という合意が、その集団の中で共有されていなければ取引は成立しません。

だから、

  • お金の正体は、人の心の中に存在する
  • そして、同様の概念が他人にも共有されている

ということが、お金を成り立たせる要件だと言えます。

これを別の言葉で言い換えると「共有できる信用」となります。

  • 1万円札を渡せば、1万円分の何かを誰からからもらえる
    (と信じていること)
  • 金(きん)を渡せば、同じように希少性を感じてくれ、他のものに交換してくれる
    (と信じていること)
  • 仮にイノシシの肉だけを渡して、何の証拠も残さないとしても、あの人はこのことを覚えていてくれて、将来きっと何らかの形で返してくれる
    (と信じていること)
  • そして、その取引の結果は社会全体で共有されて、第三者が信用してくれることにもつながる

といったことが、どの時代のお金のやり取りでも起こっています。

つまり、お金とは、相手を信用し、その信用が第三者にも共有されるから、安心してモノやサービスをやり取りできる仕組みということになります。紙幣や硬貨という物理的なものではなく、その社会における仕組みやルールであったり、その社会における人々全体が共有する信用という心理的なものなのです。

こうやって見てくると、「お金の正体は、目に見える形では存在しない」という冒頭の結論に自然と至ります。

暗号通貨こそが「お金の正体」?!

さて。こんな風にお金を見てくると、今の時代に起こっている変化がよくわかるようになります。

「今の時代に起こっている変化」とは、具体的に言えば、暗号通貨の普及です。

ビットコインやリップルといった暗号通貨(仮想通貨)を、多くの人が所有するようになりました。特に2017年は法令の整備があって、爆発的な勢いで普及し、その価値もどんどん高まっています。

この暗号通貨こそ、目に見えないものです。人の心の中だけにあります。そして、その信用は多くの人に共有されています。

先ほど、「暗号通貨を保有」と言いましたが、決して物理的に手に持っているわけではないですよね? パソコンやスマホで見ることはできても、インターネット上のどこかに存在するものです。

いえ。そもそも、モノとして存在しません。単なる情報として、暗号通貨のやり取りは行われます。

ですが、今までお話ししてきたお金の正体を、暗号通貨は全て持っているのです。

  • 人の心の中に、その価値が存在する(目に見えない)
  • その価値は多くの人が共有している
  • 暗号通貨のやり取りは第三者にも共有されて、信用が築かれていく

つまり、一見すると暗号通貨は最新の革新的なテクノロジーではありますが、お金の正体を踏まえた、原始的な形に非常に似たものだと言えます。

暗号通貨にはまだまだ「アヤシイもの」という印象が付きまとっていますが、こんな風に捉えることで、「お金の本来の形に還っている」と見ることができるのです。

もちろん、これから色々な課題もあるでしょうが、現代において暗号通貨が生まれたのは自然な流れだと言えるでしょう。

まとめ(お金の正体とは人の心)

いかがだったでしょうか? 昨日受けたセミナーがかなり衝撃的だったので、とにかくその内容を整理しようと、思いつくままに書かせていただきました。

まだまだ整理できていない点もありますが、あなたがお金を考えるに当たってご参考になるところがあれば嬉しいです(*^^*)

お金の正体とは、本来カタチのないものであり、人の心の中にあるもの

要点はこの一点のみなので、これだけでもお伝えできればと思います。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!

ABOUT ME
つじばやし@農マドワーカー
つじばやし@農マドワーカー
「ノマドワーカー」ならぬ「農マドワーカー」です。 地元の田んぼで無農薬のお米づくりをしながら、IT関連のお仕事をしています。 ブログは毎日更新しているので、よかったらまた遊びに来て下さいね!

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