人との距離を上手に取るのが苦手です。
「距離」というのは物理的なことではなくて、心理的なものですね。
- どうやって日頃のお付き合いをしたらいいのか?
- どうやってメールやメッセージをやり取りしたらいいのか?
- 会ったときに、どうやって会話したらいいのか?
といった距離感を、上手くつかめないのです。
とはいえ、一応、これまで37年間という人生を歩ませていただきましたので、多少はわかってくるようになりました。
ですが、やっぱり根本のところで、人付き合いが苦手というか、会話に困ってしまうというか……そもそも話しかけられなかったりします。
あるいは、ネット上でお見かけして、投稿内容に共感してすごく気になるんだけれど、思い切って声をかけられない、とか。そうやって、じーーーーーーーっと その人の投稿を読むだけとか(^^;;
「ストーカーかよ?」って感じですが、まさにその通りで、自分にはそういう気質はあるなぁ、と感じたりもします。もちろん、実際の行動には出ないですし、我が家には大事な妻と娘がいるので、犯罪に手を染めたりはしないですけど!
そんなこんなな状態なので、人と会うときは緊張しますし、初対面の人なら尚更ドキドキですし、見知らぬ人たちが集まる場所に行くと、ドギマギします。
こういう話をすると、「え? そんな風に見えないですよ!」と驚かれるのですが、それは長年培ってきたテクニックによって、自分の動揺が見えないように演技しているだけです。以前は、役者志望だったので、そういったごまかしができるのです。
ですが、そもそもの話として、
- 人からどう思われるのだろうか?
- 人の気分を害してしまったらどうしよう?
- 自分は変な言動をしていないだろうか?
- 周りに不快な想いをさせていないだろうか?
ということを、めちゃくちゃ気にしてしまうのです。
以前の記事にも、こういったテーマのことをいくつか書かせていただきました。


こんな風に、
- 「人に嫌われたくない」という感情は日本人がもともと持っているものなので、それを踏まえた上で乗り越えましょう! とか
- 人の目が気になるのは、もともとそういうタイプである可能性が高い。だから、それを割り切って、逆に長所として活かしましょう! とか
散々書いて来たのですが、なかなかどうして、長年染み付いてしまったものを取り去るのは難しいです。もしかしたら生まれつきのもので、一生付き合っていかないかもしれませんね。
ただ、こういった「人と上手く付き合えない」「人の目が過剰に気になる」ということが、自分の行動の障害になることがあるので、そこは何とかしたいなー、と思っています。
例えば、昨日もブログを書かせていただきましたが……

この記事、書くのにめっちゃ時間がかかってしまいました。
ぐぐぐぐぐぐ……
昨日 参加したVALUのイベントについてブログにまとめているのだけれど、なかなか整理ができない(- -;;
久しぶりに、ブログが難産だ。。。。。。— つじばやし@農マドワーカー (@shbayashi) 2018年1月28日
こんなツイートをしてしまったくらいで(^^;; 具体的な時間で言えば、5時間くらいかかってしまったと思います。
文字数が5,000字を越えているので、時間がかかるのは当然なのですが、5時間は時間かけ過ぎですよね……。
そして、こうなってしまった原因は、、、
- こんなことを書いて、人に非難されたらどうしよう?
- 違う考えの人から、色々言われてしまったらどうしよう?
- そもそも、自分の考えが上手く表現できているだろうか?
- 文章の構成は的確かな? 言葉遣いはこれで良いかな? 順序は大丈夫かな?
みたいなことを、書きながらグルグルグルグルいっぱい考えてしまったんですよね。
いわば、自分の中から生まれてこようとしている言葉を、人からの評価や意見が怖くて、抑えつけてしまっていた感じです。
そういった「人への恐怖」が無ければ、もっとすんなり言葉が出てきて、もっとすんなり記事を書けたはずなのです。
ですが、余計なことを色々と考えてしまって、自分の首を締めて、勝手に“難産”になってしまっていました。
「んもう! ひとりSM、やってんじゃねーよ!!」
って感じですが、こういう“ひとりSM”を、幼い頃からずーーーーーーっと繰り広げてきたので、もはやクセになっちゃってるんですよね。
というか、こうやって“ひとりSM”することが、快感なのだと思います。
「イヤだイヤだ」と言いながら、実は“ひとりSM”している自分が好きで、「イタイイタイ」と言いながら、それが快感なんでしょうね……。
(書いてて、別の意味でイタイ・・・orz)
あーーーーーーーー、もう! 今までの記事の中では……

「力を抜いて書きましょう!」「心に浮かぶままに書くと良いですよ!」「休まずに一気に書きましょう!」てなことを言っているのに、自分でも全然できてねーじゃねーかーーーーーーーー!! って感じです。
どうやら、昨日の記事は、実際に参加したVALUイベントについて書いたので、そこに参加された人との人間関係とか、他にVALUをやってる人のことを考えてしまって、頭でグルグルと色んなことを考えてしまったのでしょう。
いえ。「考えた」というよりも、勝手な妄想です。
だって、「人がどんな風に感じるだろうか?」とか「自分がどう思われるだろうか?」というのは、まだ誰にも言われていないことで、自分のアタマの中だけで勝手に起こっていることです。
もはや妄想が暴走した状態です。
この妄想暴走状態を止めることが大事なのです。
ですが、厄介なのは、この妄想暴走状態は、人の目を気にする人間にとっては、まるで現実に起こっていることのように感じてしまいます。いま自分のアタマの中で繰り広げられている妄想が、本当に現実に起こっているように感じてしまうのです。
ある意味、想像力が豊かで、そのイマジネーション力を他のところに使えば、大きな能力や価値となるはずなのに、自分自身の行動を妨げてしまうと、害悪以外の何ものでもなくなってしまいます。
じゃあ、どうすればいいのか?
もはやこれは、後から振り返って、自身の状態を分析するしかないと考えます。
例えば、夜寝る前に一日を振り返って、
- 今日の自分って、妄想してなかったかな?
- 妄想が暴走して、自分の本来の行動を邪魔してなかったかな?
- 変な不安や恐怖を感じていなかったかな?
と冷静に分析するのです。
いわば、自分を客観視するわけですね。
で。おそらく この“客観視”は、妄想が暴走している現場ではリアルタイムには出来ません。だって、その妄想が「リアルだ」と感じてしまっているわけですから。
時間が経過してから、「そうか。あれは妄想だったな」「めっちゃ暴走してたな」と後から振り返って、ようやくわかることなのです。
ですが、そうやって何度も振り返りをしていくことで、自分のパターンが見えるようになるでしょう。
- 「ああ。自分はこういう時に妄想するんだな」
- 「こんなきっかけで暴走するんだな」
ということがわかるようになってきます。
実際 僕も、昨日お風呂に入りながら、一日の振り返りをしたのですが、「うわー。自分でって妄想が暴走してるーー」「ひとりSMしてるーーーーー」ということに気づくことができました。
そして、そうやって自分を客観視すると、それまで頭の中でモヤモヤと漂っていた不安や恐怖が不思議と消えていきました。
つまり、「今まで自分の感じていたことは妄想だった」「実体のない幻想だった」と認識することで、不安や恐怖は薄れ、人に対する余計な気遣いや心配も無くなることに気づいたのです。
「疑心暗鬼」という言葉がありますが、自分に疑いの心があると余計な妄想が湧き、その妄想が更に暗闇の鬼のように目の前に迫って来ます。ですが、そこには根拠はなく、勝手に自分で作り出しているんですよね。
そして、いま「疑いの心」と書きましたが、結局は自分のことを疑っていたり、自分に自身を持てないことが、そういった妄想を生み出す原因なのだと思います。
いわば、「人の評価が気になる!」「相手を傷つけないか心配だ……」と言いながら、結局は自分に自信がなくて、自分のことを疑っているだけなんですよね。
そこの部分を取り払えば、きっと
- 疑心暗鬼が起こることもなく
- 妄想が暴走することもなく
- 人に対して余計な心配や気遣いをすることもなく
- 人との心理的な距離も上手く取れるようになる
そんな気がします。
そのためにも、まずは自分を客観視して、自分が不安になるパターンを見つけたいと思います。
このブログでは、生き方のこととか、心のコントロールのこととか、色々と書かせていただいていますが、自分はまだまだ出来ていないなー、と感じる今日この頃です。
今後とも、お付き合いいただければ幸いですm(_ _)m