社会

町内会の行事や冠婚葬祭に参加する意味って?地域の繋がりは本当に必要なもの?

町内会の行事や冠婚葬祭に参加する意味って?

「町内の知らない人の葬式に行くのが苦痛だ」という話を聞きました。

どうやら、都会から田舎のお家に嫁がれたらしく、地域にそういった慣習があることをご存知なかったそうなのです。

我が家も大阪の郊外の田舎なのですが、昔ながらのそういった冠婚葬祭の決まりのようなものがあります。

町内でどなたかが亡くなれば、家の誰かがお通夜か葬儀に参列するし、お葬式の準備や何やらを手伝いに行ったり、町内の家々に連絡に回ったりします。

今では「家族葬」といって、家族内だけでお葬式を済ませるところが増えてきたので、そういった「町内みんなで」という慣習は廃れて来ているのですが、やはり古い地域だとまだまだ残っているのでしょう。

それは確かに、慣れていない人にとっては理解できないし、「知らない人のお葬式に行く」というのは苦痛かもしれません。

ですが、こういった慣習って、ちゃんと意味があると思っているのですよね。

どういうことかというと、何かあったときに助け合えるのは地域の繋がりだけだから、です。

消防団って本当に必要?
消防団って必要?その存在意義を考えてみる当サイトをご覧いただき、ありがとうございます! 「農マドワーカー」の辻林です。 本日は地元の消防団による防災訓練。朝の6時半ごろか...

↑こちらの記事にも書いたのですが、町内会や消防団、自治会、青年団といった地域の集まりは非常に意味があるものだと思っています。

今はインターネットが発達して、遠くの人とも繋がりを作ることができ、気軽に会話をすることができます。場合によっては、ネットで出会った人に会いに行ったり、お仕事の相手になったりもします。

実際、僕はインターネットで繋がった人と沢山会っていますし、お仕事もさせていただいています。

けれど、それでも“地元の繋がり”というのを大切にしたいと思っているんです。

なぜなら、例えば大きな災害が起こってしまったとしたら、ネットの繋がりは全く役に立たないからです。Facebookのお友達が1000人以上いたとしても、ツイッターのフォロワーさんが1万人いたとしても、何か起こったときに助けてくれる確率は非常に低いわけです。

そうなったとき頼りになるのは、物理的な距離が近い人たちだけ。

そう。町内会や自治会レベルで繋がれる人たちだけなのです。

そういった緊急時のために、“地域の繋がり”というのはとても大切だと思っています。

というか、そもそもの話として、自分がその場所・その家で暮らせるのは、地域の人たちのおかげがあってこそです。

過去を遡れば、機械のない時代に食料生産をするには近所の人たち同士の助け合いがなければいけませんでした。

お米作りは一人ではできない
嫌われる勇気は本当に必要?嫌われたくない気持ちへの対処法『嫌われる勇気』という本があります。 近年ベストセラーになって、ドラマ化もされました。 心理学の隠れた巨匠とされたアルフレッ...

詳しくは↑こちらの記事に書きましたが、

「地元の繋がりがなくなる」=「食料が確保できない」=「死」

でした。

あるいは、現代に戻って考えてみても、電気や水道やガスが通っているのも、そこの地域に人が集まっているからです。人の少ない地域にインフラの整備が遅れてしまったり、郵便や宅配が届きにくいという状況がありますが、それは「その地域に人が少ないから」という理由です。

ですから、いま自分の住む家で便利に暮らせるというのは、地域に住んでいる人たちがいてこそ、ということになります。

少し別の表現をすれば、水道管や電線やガス管や電話線などなどを、地域の人たちと共有して支え合っているから、便利な暮らしができるわけです。

いま僕がインターネットに繋いでブログを書けるのも、地域の人たちとインターネット回線を共有しているからなのです。

だから、「地域の支え合いを否定する」ということは、「今の便利なインフラやネットの活用を否定する」ということになります。

つまり、インターネットで人の繋がりを作れるのも、グローバルに交流できるのも、地域での支え合いが全ての土台、ということです。

ですから、たとえ“知らない人”であっても、自分の生活に恩恵を与えてくれている人なんですよね。それを「顔を知らない」「話したことがない」という理由で繋がりを切ろうとするのは、やはり違うと思うのです。

あ。でも、「嫌でも無理やりお葬式に行きましょう!」とか、そういう話ではないですよ。

いくら「地域の繋がりが大切」と言っても、「嫌だ!」と感じることを無理に頑張ってする必要はありません。というか、そんなことを強いられたら、もはや人権侵害です。いくら地域の慣習だからといって、そんなところへ行く必要はないです。

僕がお伝えしたいのは、

「知らない」「話したことがない」という理由で地域の繋がりを無視するのは違う

ということであって、「地域の慣習に従え」「嫌でも冠婚葬祭に出席しろ」ということではないのです。

あくまでも・・・

  • 同じ地域に住んでいるというだけで、見えないところで支え合っている
  • たとえ知らない人であっても、住む場所が近ければ繋がりも深い
  • その繋がりに感謝し、自分のできる範囲で助け合いの行動を取る

という感じです。

ここで言うポイントは「繋がりを感じる」「感謝する」ということですね。

たとえ具体的な行動を取らずとも、見えない繋がりを感じられていたり、今の生活が地域の人たちによって支えられていることに感謝できれば、それで良いと思います。

というか、そうやって感じていれば、自分の負担のない範囲で地域のために行動を起こせると思います。決して、「嫌なのに葬式へ行く」「慣習に従う」だけが、地域との繋がりを保つ方法ではないはずです。

それに、先ほどもお伝えしたように、僕の住む地域でも「家族葬」が増え、町内会で関わってお葬式をするということが少なくなりました。以前は子供会や老人会もあったのですが、今はそれも無くなりました。

そんな風に、古くからの組織や慣習はどんどん無くなっているのです。

ですから、時代の流れを見れば、「慣習に従う」「町内の行事に嫌々参加する」ということは無くなっていくと思います。

けれど、それで“地域の繋がり”が無くなるかというとそうではなく、次の時代に合った形に変化していくと思うのです。具体的な形はわかりませんが、何かしらの形で地域の人が集まったり、話し合ったりする仕組みが生まれてくるように思います。

なぜなら、先ほどお伝えしたように、“地域の繋がり”は全ての土台だから。

ですから、仮に「町内会の慣習で、知らない人のお葬式に出なければならない」としたら、まずは「今の自分がここで暮らせるのは、その人のおかげでもある」ということを受け止め、その上でどのように行動すべきかを選択すれば良いと思うのです。

つまり、

  • 「地域の繋がりを大切にし、見知らぬ人でも感謝を忘れない」というのが根っこ
  • その上に、具体的な行動を、自分の気持ちや状況に無理のない範囲でとる

ということですね。

抽象的な表現で、明確な解決策を提示できないのが心苦しいですが、今一度“地域の繋がり”を考えるきっかけにしていただけたら嬉しいです。

時代の変化が激しい昨今ですが、そういったところに、“時を経ても変わらぬもの”や“本当に大切なもの”があると思うのです。

ABOUT ME
つじばやし@農マドワーカー
つじばやし@農マドワーカー
「ノマドワーカー」ならぬ「農マドワーカー」です。 地元の田んぼで無農薬のお米づくりをしながら、IT関連のお仕事をしています。 ブログは毎日更新しているので、よかったらまた遊びに来て下さいね!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください