ライフスタイル

人生の目的って何だろう?と悩み続けて出た結論は「無い」でした!

人生に意味や目的は必要なのか?
  • 目的を明確にしよう!
  • きちんと目標を設定しよう!
  • 何かをするときは、その意味をしっかり考えよう

なんてことがよく言われます。

ビジネス書とか自己啓発本では、必ずと言っていいほど書かれていますよね。

ただ、「それって本当に必要なのかな?」と最近感じています。

というか、「必要ないんじゃね?」とすら思うようになりました。

人生に果たして目的や意味は必要なのか?

ちょっと考えてみたいと思います。

 何のために生きてるんだろう?

「何のために生きてるんだろう?」

こんな疑問を昔からよく抱いていました。

特に高校から大学にかけての時期が一番強くて、自分の人生の目的や生きる意味がわからなくて、ひたすら悩んでいました。

2〜3日 家にこもったり、高いところから身を投げたくなって「一度、生きることを終わらせてみようかな?」と考えたこともあったくらいです。

一般的には一番遊べる時期なのに、「何をしとんねん?!」って感じですが、青春時代の僕はその疑問に取り憑かれていたんですよね(^^;

で。そうやって問い続けて悩み続けて出た結論は、

人生に意味や目的なんて無い!

というものでした。

 人生に意味や目的なんて無い!

いえ。あの、この結論に行き着くまでに、答えの候補は色々とあったんです。

  • 「人生」とは自分だけではなく「人を生かす」ことだから、他の人に貢献することが人生の目的なのだ! とか
  • この世界には様々な出来事が起こり、絶えず移り変わっている。それを認識し記録できるのは人間だけだから、自分の目に映るものを記録することが人生の意味だ! とか
  • きっと“神様”みたいな存在が宇宙の外にはいて、この世界で僕たち人間を人形のように遊ばせているんだ。きっと僕たちの人生は神様のロールプレイングゲームなんだ! とか
  • 実は、いま見えている現実は僕だけが見ていて、僕だけの空想で作り上げているものだ。だから、僕が死ねば、この世界そのものが消える! とか
  • この世界は自然と命に満ち溢れ、美しい。僕たち人間はきっと、この世界の美しさや楽しさを味わうために、外の世界(=あの世)から遊びにやってきたんだ! とか

自分で書いていて恥ずかしくなって来ますが、なんか小難しいことを沢山考えていました。

ですが、小難しそうに見えても、冷静に考えてみると、

「ぶっちゃけ、どーーーでもよくない?」

ということばかりです。

んでもって、いま改めて考えてみても、「うん。どーーでもいいよね!」という結論に行き着きます。

悩み抜いた末の答えは「どーでもいい」

そうなんです。どれだけ考えてみても、答えは見えないのです。もし仮に答えが見えたとしても、それで人生が変わるわけでもありません。

というか、今までの長い人類の歴史において、キリストとかブッダとか頭の良い人たちが人生の意味や目的をいっぱい考え続けているのに、僕が今更考えてみたところで良い答えなんて出ないんです。

そして、キリスト教とか仏教とかが世界中に広まっているのに、未だに人生に迷う人がいなくならないということは、そこにも有効な答えはないのでしょう。

つまり、「何のために生きているのか?」という問いに対する答えは、人類は未だに持っていないということになります。

であれば、その問いや疑問を持つことが無意味であり、であるならば、人生の意味や目的そのものも存在しないということになります。

そう。要するに「人生の目的なんて どーーだっていい」のです。

人生を豊かにするヒント

ただ、人生に意味や目的はなくても、“人生を豊かにするためのヒント”はあります。

農業で“命”に触れて学べること

僕は「農マドワーカー」を名乗っていて、一応は兼業農家なので、稲や野菜が育つ様子を見ることが多いです。

いわば、“命”というものに触れさせてもらっているわけですが、その“命”たちを見ていて気づくことがあります。

それは、

  • 天に向かって成長すること
  • 美しい花や実をつけること
  • そして、次の世代を育てること

です。

まあ、当たり前といえば当たり前なわけですが、植物たちは基本的にこんな風に育ちます。こうやって一生を終えます。

人の“命”を輝かせるヒント

ここに人が生きるヒントもあるのです。

だから、これを人間に置き換えてみると、

  • 天に向かって背筋をピンと伸ばし、自分に自信を持って生きること
  • 自分の持つ才能を開花させ、何らかの成果を作ること
  • そして、それによって周りの人や次の世代が育つ手伝いをすること

が、人の“命”を輝かせる手がかりとなります。

楽しんで生きようぜ!

って、またも小難しいことを書いてしまいましたが、これはあくまでも僕なりの表現です。人によって言葉や表現の仕方は変わると思います。

ですが、めちゃくちゃ平たく言ってしまうと、

思いっきり楽しんで生きようぜ!!

ということです。

だって、稲や野菜たちが迷ったり悩んだりして育つところ、見たことないですもん。

彼らは常に一生懸命で、自分を成長させることだけを考えます。とにかく自分自身が大きくなることを目指します。

特に稲は、まっすぐ一直線に天に向かって伸びます。

そこに迷いはありません。

とにかく、今できる精一杯の力を使って、自身を成長させることを目指すのです。

そうやって大きく育った結果、とても美しい花を咲かせます(稲も実は花を咲かせるんですよ♪)。そして、短い開花の時期を終えると、実を熟させる段階へ移行し、秋には黄金色(こがねいろ)の稲穂が実るのです。

疑問はムダ!とっとと楽しむ!

……と、こんな風に見てみると、人の命も、

  • ただ一生懸命に自分を成長させ
  • そこで得た力で才能を発揮し(=花を咲かせ)
  • 何らかの成果を残し(=実を結び)
  • 次の世代につなげる

というステップを踏むことが、ポイントとなります。
(いま「成果」と書きましたが、規模の大小は問いません。少しでも「自分で何かができた!」と思えれば、それでOKなのです)

となると、人生に意味や目的を持つことが馬鹿らしくなって来ませんか?

そもそも、「人生の意味や目的って何だろう?」という疑問そのものがムダということになります。

そんなことを考えるよりも、いま自分にできることを徹底的にやり、自分を成長させることに集中する方が効果的です。

もっというと、そんな疑問を抱くヒマがあるなら、とっとと“今”を楽しめばいいのです。

そんなことを、高校から大学時代の僕に言いたくなってしまいました(^^;

最後に(人生の目的は……)

とはいえ、やっぱり今でも「自分の生きる意味は何だろう?」「人生の目的は何だろう?」と考えてしまいます。

けれど、その度に「うん。やっぱり人生に意味や目的なんて無いや!」という結論に行き着きます。

もしかしたら、死ぬ直前か死んだ後に、その答えが見つかるのかもしれません。ですが、それまで待っていたら、文字通り人生は終わってしまうので、とにかく今できることを精一杯やる方がいいのです。

というか、今できることを精一杯やるしかありません。

楽しむしかありません♪

なんかもう、僕はもはやブログを書くことにも、意味や目的が無くなっています( ̄▽ ̄)

ブログって「誰かに向けて書きましょう」「目的を明確にしましょう」と言われますし、自分自身もそうだと思っていたのですが、最近は「誰に向けて?」とか「書く目的は?」すら無いのです。

とりあえず「いま自分が記事を書けるから、思いっきり書く!」という感じで書いています。

そして、今回の記事も

  • なんか知らんけど思いついたから、思いっきり書く!
  • 答えや意味や目的なんて無いけど、書く!!

となって、勢いで書いてきました。

ですが、もしかしたら昔の僕のように人生の目的に悩んでいる人がいるかもしれないと思い、少しでもお役に立てたらという想いで書きました。

「人生に意味や目的なんて無い!」という非常に乱暴なメッセージではありますが、何かしらご参考になれば幸いです。

そして、今生きることを楽しんでいただけたら、本当にうれしいです(^-^)

てゆーか、楽しみましょう!!

ABOUT ME
つじばやし@農マドワーカー
つじばやし@農マドワーカー
「ノマドワーカー」ならぬ「農マドワーカー」です。 地元の田んぼで無農薬のお米づくりをしながら、IT関連のお仕事をしています。 よかったら、またブログに遊びに来て下さい!

POSTED COMMENT

  1. アバター 神様やっぱり存在するんだ より:

    長文ごめんなさい。
    疑問と向き合って生きて来られたことに敬意を表します。
    今の時代ですと疑問を探し求めることが無駄に感じられるのは
    致し方無いです。宗教というと胡散臭いですよね。
    ただ、最後にもう一度だけ、調べて欲しい本が有ります。
    「聖書」です。何故「聖」がついているか?
    50億冊が頒布されており、2600の言語!がカバーされる驚異的な
    本です。時代、時代ごとの権力者が闇に葬ろうとしたのですが現代に
    残っている理由。1600年かけて40人の手に依ってしるされた66冊の
    本が2000年ほど前に完成した物。
    様々な人が命を掛けて守り抜いてきた本。
    神様が人間に贈ってくださったプレゼントの1つです。
    全ての疑問が聖書によって解き明かされます。
    電子版なら今すぐお読み頂けます。JW.ORG
    因みに、聖書の最後には
    聖書に何か(嘘の情報など)付け加える者には神罰が加えられ
    聖書から何か(神の名、など)を取り去るものには命(真の命など)が
    取り去られる
    とあります。

    • 神様やっぱり存在するんだ さん

      コメントありがとうございます!
      貴重な情報をいただき感謝申し上げますm(_ _)m

      ただ、聖書は以前にも調べたことがありまして……
      原文をそのまま読んだわけではなく、要約か解説本を読んだのですが、
      あいにく僕の求める答えを見つけることができませんでした(^^;;

      ですが、それから随分時間が経ったので、今の自分では何か発見があるかもしれません。

      また機会があれば読んでみたいと思います(^-^)

      あ。ただ、記事内で言葉足らずの部分があったので、補足させてください。
      (アップしてから自分の感覚が変化したのもあります)

      僕自身は「疑問を探し求めること」を無駄だとは思っていません。

      むしろ、「疑問を探し求めること」こそが人生を充実させる楽しいものだと思っています(^-^)

      その点で言えば、記事内の
      > 「人生の意味や目的って何だろう?」という疑問そのものがムダ
      という表現は極端でしたね……
      誤解を招く表現で失礼いたしましたm(_ _)m

      ですので、今は日々
      「人生の目的はなんだろう?」
      「わかんないなー」
      「わかんないけど、目の前のことに一生懸命取り組みながら考えるの楽しいなー」
      「自分なりに試行錯誤しながら疑問を探し求めることが、人生の目的かも〜♪」
      という風に生かしていただいています。

      なので、やっぱり人生の目的は「ない」と思いますし、
      きっと人間ひとりひとりが違った目的を持つものだと思いますし、

      「誰かに疑問を解き明かされるのはもったいないなー」
      「答えは別に要らないなー」

      と思っています(^-^)
      (こうすると、とっても楽しいので♪)

      その意味でも、また聖書に触れてヒントをいただけたらと感じました。

      貴重なコメントを本当にありがとうございます!

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