生活習慣

だらけた状態から脱却するには?「もし死んだら」と想像してみる

「もし死んだら?」を考えると日常の大切さが身にしみてわかる

「死んだらどうなるんだろう?」

ということを考えます。

自分に対しても身近な人に対しても考えるのですが、まず自分について書いてみると……

  • 子どもの成長を見られなくなるんだろうな
  • 妻の笑顔も見られなくなってしまう
  • 日々の何気ない会話もできなくなってしまう
  • 両親を悲しませることになるだろうな
  • 友だち付き合いは良いほうじゃないけど、会えなくなるのはやっぱり寂しいな

という感じ。

逆に、身近な人に対して……例えば妻について考えてみると

  • 毎日見られていた笑顔が無くなってしまう
  • いつも明るく話しかけてくれていたことが無くなってしまう
  • こちらの話を聞いてくれていたことが無くなってしまう
  • 一緒に出かけたりお茶したり買い物したりしていたことが無くなってしまう
  • 子どもの成長を一緒に見守ることが出来なくなってしまう

という想像ができます。

どちらにしても、

「ムリムリムリムリ! めっちゃ寂しいやん!!(T-T)」

となります。

だから、

  • 普段何気なく過ごせていること
  • 家族や友だちがいること
  • ここに命があること

って、本当に貴重で大切なことで、本当に本当に奇跡だと思うのです。

最近だらけてました

こんにちは! 「農マドワーカー」のつじばやしです。大阪の郊外で無農薬の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事をしています。

ぶっちゃけ、「最近ダラけているかも……」と思っていました。

仕事や日常に新鮮さがなくなって、惰性で日々が過ぎていく感覚。それによって、行動の効率が落ちて、なんとなく気分が離れない状態が続いていました。

決して怠けているわけではないのですが、どこか物足りなさがあって、心が燃えない感じ。夢中になり切れていない感じだったのです。

ですが、昨日、「これじゃダメだ!」と気づきました。

何気ない日常こそがめっちゃ大事!

気付いたきっかけは ここでは省略させていただきますが、何に気付いたかというと

「何気なく過ごしている日常こそが、めっちゃ大事やん!」

ということ。

いえ。これって、以前からも何度もブログで書いていたことかもしれません。僕は稲を育てたりして命に触れ合っていることもあって、「日々の生活や生命を大切にしよう!」という思考が強いです。

ですが、それはあくまでも、頭で考えていたこと。

心のレベルまで落ちているわけではなかったのです。

けれど、昨日から今朝に至るまでの間に、心の部分で「普段の日常や生命って、めっちゃ大事!」と感じられるようになったのです。

もっと詳しく言うと、“心”というより、“胸のあたりにある何か”です。敢えて言葉にすると「ハート」となるのですが、「心とハートの何が違うねん?」と言われると、上手く答えられません。ただ、感覚的に胸のあたりで、じんわりと命の大切さを噛みしめているのです。

あと、「心の底から腑に落ちたか?」と言われると、そこまでのレベルに達してはおらず、まだまだだなぁ……と思ったりしています。

死んだらこの世の全てと接点を失う

冒頭にも書いたのですが、もし自分が命を失うと、いま目の前にある全てが失われます。

正確にいうと、「自分があの世へ旅立つ」ということなのですが、そうなると、この世の全てに接点を持てなくなります

家族や友だちと会えなくなるだけではなく、

  • 普段食べているご飯も食べられなくなるし
  • 何気なく飲んでいるコーヒーも飲めなくなるし
  • そのコーヒーカップに触れることもできなくなるし
  • 毎日書いてきたブログも書けなくなるし
  • いつも身近にあるスマホやパソコンを触ることもできなくなる

という状態になります。

あ。もちろん、まだあの世へ旅立ったことがないので正確にはわかりませんが、今まで旅立った人を見てきたところ、こういう想像は容易に成り立ちます。

だから、普段何気なく触れているものって、本当に大事だと思うのです。

ちょうど今も手元にコーヒーカップがありますが、ちょっとしたきっかけで僕があの世で旅立ったなら、この「コーヒーカップに触れる」という体験も、全く出来なくなってしまうのですから。

天災の多い今だからこそ

今月(2018年7月)には悲しい災害も起こりました。広島県と岡山県を中心に襲った西日本豪雨で、多くの人の命が失われてしまいました。

お亡くなりになった方々は、当然のことながら、いま僕が何気なくできている「コーヒーカップに触れること」すら、もう出来なくなってしまったわけです。

また、豪雨災害の後には猛烈な暑さが続いています。最高気温が40℃を超える地域もあり、熱中症で倒れる人が続出。中にはお亡くなりになる人も出てきています……。

これもまた同じように、今の僕が何気なく出来ている「家族と会話すること」や「普段の仕事をすること」や「ブログを書くこと」が全て出来なくなってしまったわけです。

こんな風に考えると、いま自分が何気なくできていることが、本当に本当に貴重なことだと気づくのです。

毎日を大切にして生きよう!

正直なところ、うまく言葉にはできませんが、

「お亡くなりになった人の分まで毎日を大切にして生きたい!」

と思います。

また、僕だって同じように、災害や熱中症や事故や病気でいつ命を失ってもおかしくないのですから、

「今できることや目の前にあることを、精一杯大切にして生きよう!」

と思います。

なんか言葉で書くと綺麗事(きれいごと)のようになってしまいますが、この“綺麗事”を忘れたらきっと終わりだと思うのです。

きっと人生がつまらなくなってしまうと思うのです。

こんな“綺麗事”を忘れないからこそ、毎日を大切にして充実して生きられると思うのです。

全ての瞬間を全力で感じ取る

つまり、一言でまとめると、

「今ある自分の命を、めいっぱい燃やして生きようぜ!」

ということになるでしょう。

予想できない事故や災害、ふとしたきっかけで、人の命は失われます。

だから、いま「当たり前」と思っていたり、「日常」とか「普段」とか何気なく感じていることは、いつ崩れ去ってもおかしくないわけです。

であるならば、

  • 身近な人と過ごす時間を、全力で
  • 普段のご飯を味わうことを、全力で
  • 仕事に取り組むことを、全力で
  • 新しい出会いに感謝することを、全力で
  • コーヒーカップに触れて感じることを、全力で
  • ブログを書くことも、全力で
  • 眠ることも、全力で

その瞬間瞬間に起こること体験することを、すべて全力で感じ取ることが大切だと思ったのです。

死の危機を想像して生の大切さを実感する

……と、こんな風に考えると、最近のダラけた自分が恥ずかしくなってしまいます(^^;;

しかも、これは単に意識を変えるだけでできるので、特別なことは何も必要ありません。お金はかからないし、知識や学びも要らない。

単に、「もし自分が死んだら?」「身近な人が死んだら?」と想像するだけ

まあ、こんな想像を好んでする人はあまりいないでしょうが、「あ。最近の自分はダラけてしまってるかも……」と感じたら、試しにやってみてください。

きっと目の前の世界が違って見えてくるでしょうから。

そして、いま目の前にあるものが、すごくすごく大切に感じられると思います。

いわば、死の危機を想像することで、普段触れるものを大切さを見つめ直すわけですね。

そうやって死の危機や恐怖を常に感じるからこそ、いま生きていることの有り難さや幸せを感じられるのだと思います。

表裏一体である「死への恐怖と生きる喜び」を感じながら、今ある命をめいっぱい燃やして日々を過ごしたいです!

ABOUT ME
つじばやし@農マドワーカー
つじばやし@農マドワーカー
「ノマドワーカー」ならぬ「農マドワーカー」です。 地元の田んぼで無農薬のお米づくりをしながら、IT関連のお仕事をしています。 ブログは毎日更新しているので、よかったらまた遊びに来て下さいね!

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