朝から落ち込む出来事がありました。
今日は不幸です。
何があったのかというと、コーヒーフィルターをセットしないままコーヒーメーカーを始動させてしまい、出来上がったコーヒーが溢れ出てしまったのです。
名付けて「コーヒーメーカー洪水事件」です。
これは、僕にとって非常にショックな出来事でした。
コーヒーメーカー洪水事件
コーヒーフィルターを入れないままだと、出来上がるコーヒーのなかに砕けた豆が混ざってしまいます。とても飲めたものではありません。
しかも、その砕けた豆の混ざったコーヒーが、コーヒーメーカーの周りに溢れ出してくるのです。しかも、熱湯の状態で。
だから、周囲も悲惨な状況になります。
その後は必死で掃除をせねばなりません。
しかも、コーヒー豆も、水も、それを温めるために使った電気も、全てが無駄になります。
コーヒー豆は、妻が専門のお店で購入してきてくれたものです。その想いをも無駄にしてしまうことになります。
きっと、このコーヒー豆ができるまでには、アフリカかどこかの子どもたちが必死に木を育て、必死に摘み取った物語があったと思います。その苦労までをも無駄にしてしまいます。
何より、「早くコーヒーが飲みたいな」「まだできないかな?」とワクワクしながら待っていた朝の時間がすべて無駄になってしまいます。
その徒労感たるや想像を絶するものがあるわけです。
「何言ってるの?」って感じですか?
……って、ここまで長々とコーヒーメーカーのことを書かせていただきましたが、今ここまで読んだ多くの方が
「は? 何言ってんの?」
と思っていらっしゃるはずです。
もしかしたら、同じようにコーヒーメーカーを持っていて、同じようにコーヒーフィルターをセットし忘れた経験がある方が、「あー。それ、わかるわかる!」と思って下さっているかもしれませんが、おそらく3%くらいの確率でしょう。
きっとほとんどの方が、「何言ってんの?」「ぜんぜん理解できん」となっていらっしゃるはずです。
- ヒドイ!
- 僕はこんなにショックを受けているのに!
- こんなに不幸なのに!
- コーヒーフィルターをセットしなかった自分のミスを激しく後悔しているのに!
- めちゃくちゃ自己嫌悪なのに!!
と、いくら叫んでみても、きっと伝わらないはずです。
そう。自分の不幸って、他人にはわかってもらえないものなんですよね。
自分の不幸は他人には味わえない
もちろん、このコーヒーメーカー洪水事件の不幸っぷりは、一般的にはわかりにくいものかもしれません。
多くの人から見ると「大したことない」ものかもしれません。
ですが、たとえば「仕事でツライことがあった」とか「夫婦関係でトラブルがあった」とか、一般的にわかりやすい“不幸”であったとしても、それを実感として他人にわかってもらえることはないでしょう。
稀に、ごくごく似た経験をして「同じことが自分にもあった」「そのツラさ、わかるよー!」と言ってくれる人が現れるかもしれませんが、その確率はかなり低いです。
それに、たとえどれだけ似た経験だったとしても、全く同じ経験や感じ方をすることはありません。
なぜなら、人はそれぞれに自分だけの人生を歩んでいるからです。
- 全く同じ育ち方をした人
- 同じ職場環境にいる人
- 同じ家族関係にいる人
なんてのは、この世には自分以外に絶対にいないわけで、それゆえに同じ経験や感じ方をする人もいないのです。
自分と同じ不幸を感じる人はいないわけです。
となれば、自分が感じる不幸は自分にしか味わえないもの、ということになります。
自分の経験は他の人にはできない特別なもの
ですが、これを少し俯瞰した視点で見てみると、
「自分自身は特別である」
ということの現れであると言えます。
自分がいま感じている不幸は、他の人には味わえないものであり、唯一無二のものであるわけです。
いえ。「不幸」だけではなく、自分が感じる「幸福」も他の人には経験できないものです。
つまり、幸も不幸も、今の自分が経験していること全ては、自分にしか経験できない特別な出来事ということになるのです。
もう既に“特別”であるはずなのに……
けれど、人間というのは不思議なもので、現時点において誰しもが“特別”で“唯一無二”の存在であるにも関わらず、
- 特別になりたい!
- もっと評価されたい!
- もっと良い人生を生きたい!
なんてことを思っちゃったりするわけです。
(まさに、僕自身がこんな風に思ってたんですけど)
そんなこと思うより前に、もうとっくに特別なのに。
あなたの幸福も不幸も、他の誰にも味わえないものなのに。
あなたの人生は、あなたにしか描くことのできない唯一無二のものなのに。
「不幸」も「幸福」も自分次第
特に、何らかの「不幸」を感じたときに、
- 「こんな不幸な人生はイヤだ!」
- 「もっと違う人生を生きたい!」
- 「憧れのあの人みたいに生きたい!」
と思ってしまいます。
今朝の僕も、コーヒーメーカーから溢れ出したコーヒーを見たときに、「なんて不幸なんだ!」「こんな自分はイヤだ!」と思ってしまいました。
ですが、冷静に見ると、おかしいですよね?
こういうことに不幸を感じるのって、僕が勝手に感じているだけで、他の人は全く関係ないわけです。
「テメーが勝手に不幸を感じてるんだから、テメーで何とかしろよ」って感じです。
もっと言うと、
自分が「幸せ」と感じることも「不幸」と感じることも、全て自分が創り出してることなんだから、他の人に理解してもらおうとかどうこうしてもらおうとするのは、ちゃんちゃらオカシイ
ということです。
だって、もう自分は、他の誰でもない自分自身だけの特別な人生を、しっかり歩んでいるのですから。
コーヒーメーカーから学んだこと
って、コーヒーメーカーの話から、かなり大きな話に飛躍してしまいました(^^;;
しかも、感覚的にガンガン書いてしまったので、論理的につながっていない部分も多々あると思います。
ですが、今回「コーヒーメーカーで失敗して激しくショックを受けた」という経験を通して
- こんなことで落ち込むって、きっと自分くらいだろう
- だから、この不幸って自分にしか味わえないことなんだろう
- ということは、日常で起こる全てのことが、僕にしか経験できないことなんだ
- じゃあ、日常の全てが、他の人にはない僕だけの特別なものってことだよなー
- となると、何か特別なことをしなくても、有名なことをしなくても、僕はもう元々“特別”なんだ
- というか、僕だけじゃなくて、全ての人はもう既に特別で“唯一無二”の人生を歩んでいるんだ
ということを思ったのでした。
かなりわかりにくい話にはなってしまいましたが、直感的に何かをお伝えできたら幸いです(^-^)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!